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    Categories: 哲学政治時事

古いもの・古くなったものは「憲法」だろうがなんだろうが見直すべき

1日1日何もなしえないまま、漠然と日々を過ごしている
「人生を浪費し続けるデブ」こと、まこちゃんです(笑)

 

みなさんは、学生時代テストを受けて終わったときに、先生にこんなことを言われませんでしたか?

「見直しをしなさい。」

名前を書き忘れていないか?答え自体は間違えていないか?といった部分を見直すことで、間違えて記入しているところを直すことができます。

「見直す」ということは、学校のテストに限らず、何事にも大切だと思います。

見直した結果、その時は間違えていたことを正解できたり、その時よりもより素晴らしいものを生み出したりすることができることは明白です。

当然、「憲法」も例外ではありません。

 

今日は「古いもの・古くなったものは憲法だろうがなんだろうが見直すべき」をテーマに語っていきます。

興味のある方もない方もぜひ読んでください(笑)

 

 

永久不変に素晴らしいものなんてこの世には存在しない

 

いつの時代も、憲法(主に9条)の改憲・護憲を巡って、各政党がバトルをしています。

今までは、なんとか「解釈の仕方」というものを使ってごまかしてきました。

しかし、昨今の世界情勢の変化に対応するべく、今の政権与党がこの憲法改正に非常に前向きなのです。

それに対して、野党4党は「憲法9条の堅持」ということで反対しています。

正直、私はあまり興味がありません(笑)

自分が生きてることに疑問を感じていて、幸せが全然見つけられていない人間からすれば、憲法に関しては関心がないからです(笑)

ただ、私が言いたいのは、この憲法改正反対を訴える野党の「考え方がダメ」だということです。

彼らの考えがなぜダメなのかと言うと、「憲法」が絶対的に素晴らしいものだから、変える必要がないと考えている点です。

残念ながら、この世に「永久不変に素晴らしいもの」なんて存在しません。時代に合わなくなったり、生き方に合わなくなったりすることが、いくらでもあります。

そうである以上、少なくとも「見直し」という行動は必要なのです。

ところが、彼らの主張は憲法は絶対的によいものだから、変える必要がないという考え方をしているところが、本当に残念です。

 

「見直し」をしたから「うさぎ跳び」はなくなり、そして復活した

昔の、スポ根漫画や実際の運動部の練習でおなじみの練習に「うさぎ跳び」があります。

うさぎ跳びは、当時の練習ではスタンダードな練習方法の1つでした。

しかし、うさぎ跳びは膝に負荷がかかりすぎるため、故障の原因ということがわかってからは運動部等の練習から「うさぎ跳び」は消えました。

当然、最初にうさぎ跳びを練習に取り入れていた指導者は、うさぎ跳びは素晴らしいものだと考えていたわけです。ところが、選手の故障などと照らし合わせ科学的に「見直し」をした結果、うさぎ跳びは危険だからやめようとなったわけです。

「見直し」をしていなければ、今でも学校で「うさぎ跳び」が行われています。今活躍しているアスリートも、もし「うさぎ跳び」の練習が残っていたら、膝をやってしまって選手生命が終わっていたかもしれないのです。

ものごとに、「見直し」は不可欠なのです。

 

※ちなみに今現在は、さらに「見直し」がされて、正しいフォームでの「うさぎ跳び」は効果があるという流れにもなっているみたいです。

 

古いもの・古くなったものは「憲法」だろうがなんだろうが見直すべき

「古いもの・古くなったものは憲法だろうがなんだろうが見直すべき」というテーマで書いていきましたが、いかがだったでしょうか?

「憲法」が本当に素晴らしいものだったと仮定しても、それがつくられてからもう70年が経つわけです。

当然、70年前とは今では世の中は別物です。時代が違うわけなので、今では素晴らしくなくなっていることが書いてあっても、なんらおかしいことではありません。

にも関わらず、断固憲法改正を反対するという姿勢はどうでしょうか?

もちろん、憲法改正がよいと言っているわけではありません。

ただ、憲法だろうがなんだろうが、古いもの・古くなったものは「見直し」することが必要だと言いたいのです。

その上で、改正するかしないかという論議をするべきです。頭ごなしに「憲法は素晴らしい」と決め付けることをやめるべきだと思います。

永久不変に素晴らしいものなどないのだから。

まこちゃん: